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文法解説の必要性

どれだけ言語使用の場面を増やせと言われても、肝心の言語そのものの学習がおろそかになってはいけない。 いわゆる「文法」の学習である。 「文法」が何を指すかは別の議論であるが、少なくとも言語が様々なルールの組み合わせにより一定の法則で機能しているということを理解する必要はある。 そして、実際の授業実施に付随する問題として、「文法」学習をおろそかにしていると生徒が「勉強した」という感覚を持ちづらいということがある。 私も陥った過ちだが、英語は細かくチャンクに分けて日本語と共に提示して音読、暗誦の練習をすれば、帰納的に言語のルールは身につくだろうと想定した授業をしていたことがあった。 必然的にワークシート中心の授業となり、ノートに何かを記録していく活動はほとんど無かった。 黒板を文字だらけにして生徒がノートに必死に書き写している同僚の授業を見て、「自分はコミュニカティブだ、先進的だ」などと悦に入っていたのも束の間、学期終わりの生徒アンケートに「~先生(同僚の名前が入る)みたいに、文法の解説を詳しくしてほしい」と書いてあるのを読んだとき、その時は生意気に「何を言っているんだ、あんなやり方では英語は喋れるようにはならない」などと思ったものだが、今振り返ってみて、あのコメントにこそ学習者の不安が隠されているように感じる。 もちろん、50分ほぼ全てを教師が一方的に説明を続けるような授業は良くない。それを別のクラスで何度も繰り返すならいっそ録画して放送する方が建設的だ。 大切なのは言うまでもなくバランスである。生徒が言語を使用することによって文法の理解が深まり、リアルタイムで運用できるようになることを目標とするべきである。 では、最適な「バランス」とはどのくらいなのであろうか?その方法は? 試行錯誤の末、ある方法にたどり着いた。次の投稿で紹介したい。