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高校英語 ジグソーアイデア 6コママンガ並べ替え

 ふと思いついて実行してみたらそこそこ発見があったので備忘録的に書いておく。 課題のゴール:6つのコマを正しい順番にする。 手順: ①1グループ6人でジャンケンをし、1位から順にA、B、C、D、E、Fとアルファベットを割り当てる。 ②教室6箇所にA〜Fのマンガのコマを置く。 ③担当の生徒が各場所に行き、絵の内容を英語でメモする。 ※生徒は相談しても良いが、メモは自分なりに作るように指示をする。 ④元のグループに戻り、メモを利用して6つのアルファベットを正しい順番に並べ替える。 ※日本語を使わないように注意する。何もしゃべらなくてもメモを見せ合えば並べ替えは不可能では無いが、補足したい場合は英語でのみ可能とする。日本語が使えるのならこの課題は簡単過ぎるということを生徒に伝えるべきだろう。 重要なのはいかに適切な素材を入手するかであるが、絵の腕前に覚えがある人なら教科書のストーリーを6コマに描き、導入の教材としても面白いだろう。 追記: こういうジグソー自体はどこかで聞いたか見たことはあったが、英語でメモをさせる形にしたのが変更点。こうすると生徒(今回は高校3年生)は結構日本語を使わなくなるということが発見だった。手元に英語のメモがあるとそういう効果があるのかもしれない。

「わかりません」にどう対処するか

 授業をやっていれば生徒を指名する場面が出てくる。 こちらが期待した正解、あるいは誤りであっても学習が深まりそうな回答、的外れだとしても少なくとも何らかの回答が返ってくればいいが、そうでない場合もある。 つまり無回答、あるいは「わかりません」と言われた場合である。特に経験の浅い教員ほど、どう対処するか気を揉むところであろう。 さて、この「わかりません」に対するその後の教員の動きにはいくつかの選択肢があるが、これは「問いの性質」と「他の生徒の理解度」による。結論から言うと、教員の対処は以下の3種類である。  1 教員が答えを言い、次に進む  2 次の生徒を指名する  3 教員がヒントを出し、その生徒の回答を促す 「1 教員が答えを言い、次に進む」のは、比較的平易またはシンプルな問いで、他の生徒半数くらいが正解をわかっているだろうという場合である。この場合、当該生徒の「わかりません」は、本当はわかっているのだが自信がないだけであると想定される。 つまり、もう少し催促すれば回答する可能性はあるのだが、回答までにどれだけ時間がかかるかわからないことに加え、他の生徒もほとんどがわかっているだろう答えに時間をかけるのは学習効率がよくない。そこで、早々に見切りをつけて次の問いに進めば授業テンポを失わずに済む。 「2 次の生徒を指名する」ことを前述の「1」の前に取り入れても良い。複数人指名して同じ状況ならば改めて1の手法を取ることもできるからだ。少人数クラスでは、回答できなければ次々と指名をしていくと1時間で2周以上指名をすることができ、緊張感を保てると同時に、生徒にも複数回のチャンスを与えることができて効果的である。 「3 教員がヒントを出し、その生徒の回答を促す」のは「1」とは逆の状況で、他の生徒も大多数が理解できていないか自信がない、あるいは複数の正解が考えられる場合である。 この場合、教員がヒントを出すことは当該生徒のためだけでなく、その他の生徒へのヒントにもなっているのである。 こうした後に改めて回答を促し、それでも答えられなければ次の生徒を指名しても良い。この場合、指名によって時間をかけることは授業テンポを損ねる行動ではなく、教師の助け無しでは回答できなかった生徒たちに対し思考する補助と猶予を与えることになる。StorchやSwainらが提唱するscaffold...

ピーチ航空マスク騒動を英語教師の視点から考える

ピーチ航空乗客が搭乗後マスク着用をCAから求められ、受け入れなかったところ降機させられたというニュースが話題になっている。 詳細はtwitter等で見ることができるが、気になったのはネットユーザーのこの件に関する意見である。 大多数は反対的な意見(マスクをしない方が悪いという意見)であるが、この乗客の対応は丁寧で論理的であり、賛同できるという声もある。 しかし後者の中で気になるのが、「心情は理解できるが、マスクぐらいすればいいのに」という意見である。 つまり、当人が納得できないとしてもマスクさえしておけば波風たてずに済むのだからそうしておけばいいじゃないかという妥協案なのだ。 この考えの背景にあるのは、マスクの不利益は当人がそれを不快に思うかどうかであり、その心理的な側面以外には実生活に影響はないのだから、その点を我慢すれば社会生活はうまくいく、というものだと思う。 しかし、果たしてマスクの着用の不利益は心理的な側面だけなのであろうか。 英語教師の視点から考察するとどうだろうか。そこには看過できないことがある。 声が聞き取りづらいのである。 それはこちらから発する声についてであり、生徒が発する声についてでもある。 実際、些細な応答でも聞き返さなければならない場面が増えた(声量を上げればいいという考えもあろうが、そもそも大声を出すというのはマスクをする本来の主旨に反するものであろうから推奨しない方がいい)。 音読はどうすればいいのだろうか。たまにマスクのまま一斉音読させている場面も見受けられるが、あれは一体何を目的としてやっているのだろうか?発声練習?音読の成否の判定基準は?声が出ているかどうか?それなら英語である必要はないだろう。 音読をさせる以上、生徒の発音レベルの判定をしなければいけない。しかしマスクがあると細かい音はまず聞こえない。生徒はそもそも教員と違って「発声」があまりうまくない。一音一音しっかりarticulateする訓練をしていないから仕方ないが。 さすがに教員は発声には慣れているからマスクをしていてもそれなりに発音をすることができる。そうはいっても、マスクをしない時と比べて大きな声を出す必要がある。結果、平時よりも体力の消耗は激しい(そしてこれが繰り返されると、無意識に教員は発声をする場面を減らすようになり、講義形式の文法訳読式へ重心を置くようになっ...