ピーチ航空マスク騒動を英語教師の視点から考える

ピーチ航空乗客が搭乗後マスク着用をCAから求められ、受け入れなかったところ降機させられたというニュースが話題になっている。

詳細はtwitter等で見ることができるが、気になったのはネットユーザーのこの件に関する意見である。


大多数は反対的な意見(マスクをしない方が悪いという意見)であるが、この乗客の対応は丁寧で論理的であり、賛同できるという声もある。


しかし後者の中で気になるのが、「心情は理解できるが、マスクぐらいすればいいのに」という意見である。


つまり、当人が納得できないとしてもマスクさえしておけば波風たてずに済むのだからそうしておけばいいじゃないかという妥協案なのだ。


この考えの背景にあるのは、マスクの不利益は当人がそれを不快に思うかどうかであり、その心理的な側面以外には実生活に影響はないのだから、その点を我慢すれば社会生活はうまくいく、というものだと思う。

しかし、果たしてマスクの着用の不利益は心理的な側面だけなのであろうか。


英語教師の視点から考察するとどうだろうか。そこには看過できないことがある。


声が聞き取りづらいのである。


それはこちらから発する声についてであり、生徒が発する声についてでもある。


実際、些細な応答でも聞き返さなければならない場面が増えた(声量を上げればいいという考えもあろうが、そもそも大声を出すというのはマスクをする本来の主旨に反するものであろうから推奨しない方がいい)。


音読はどうすればいいのだろうか。たまにマスクのまま一斉音読させている場面も見受けられるが、あれは一体何を目的としてやっているのだろうか?発声練習?音読の成否の判定基準は?声が出ているかどうか?それなら英語である必要はないだろう。


音読をさせる以上、生徒の発音レベルの判定をしなければいけない。しかしマスクがあると細かい音はまず聞こえない。生徒はそもそも教員と違って「発声」があまりうまくない。一音一音しっかりarticulateする訓練をしていないから仕方ないが。


さすがに教員は発声には慣れているからマスクをしていてもそれなりに発音をすることができる。そうはいっても、マスクをしない時と比べて大きな声を出す必要がある。結果、平時よりも体力の消耗は激しい(そしてこれが繰り返されると、無意識に教員は発声をする場面を減らすようになり、講義形式の文法訳読式へ重心を置くようになっていくだろう)。


以上のことだけでも、マスク着用のデメリットは心理的なものだけではないと言えるだろう。生徒の発音は改善されないだろうし、発音が改善されないから音読は楽しくならないし(音読が本当に楽しいと思えるのは発音がある程度身についてからである)、音読をしないから英語は覚えられないし、英語が覚えられないから成績は下がるし、長期的に見て日本人の英語レベルに負の影響を及ぼすことが危惧される(英語だけではないかもしれない)。


このようなことは考えれば割と簡単に想像できることである。それなのに、教育現場ではその点に一切触れずに「感染予防のためにマスク着用を徹底する」ことを呼びかける。


確かに、学校という組織に関わるステークスホルダーからの目を考えれば、学校でクラスターを発生させることを恐れることは理解できる。しかし反対に、教員そして生徒がマスク着用によって負ってしまっている不利益をどこまで学校やそれに関わる人々が理解してくれているのだろうか。


「心理的な不快さ」では済まされない。本来あるべき教育的そして学習的機会が損なわれているということを受け止めなければいけない。そしてそれに対して何らかの支援をしなければならない。そこを「マスクぐらいすればいいのに」という考えでいるから、教員や生徒に負担を強いてしまっている。私たちの仕事はマスクをしても何も変わらないで実行できると思われている。それは私たち教員がその手腕を評価されているというよりも、マスクをしてもしなくても変わらないくらいの質の授業をしていると軽んじられていると私は思っている。


イギリス首相ボリス・ジョンソンは9月のイギリスの学校再開に際し、マスク着用のルールの発表した。それまで学校ではマスク着用は義務ではなかったが、土壇場で「共有スペースでのマスク着用義務化」を申し渡したのだった。しかし、それでも授業中はその義務から除外されたことに関し、首相はこう言った。

「教室内ではマスクをしなくて良い。それはナンセンスだ。マスクをしたまま教えられないし、生徒に学ばせることもできないだろう。」


「マスクぐらいすればいいのに」ではなくて、それによって失われているものを、冷静になって考えなければいけないと思う。

コメント

  1. 埼玉県内中学校英語科教員です。今年度いくつかの中学校に授業改善のお手伝いで訪問させて頂きましたが、相変わらず「教科書訳読→ワーク」のような展開が横行しています。「新型コロナ対策」という言い訳で、学習者の思考力・判断力・表現力等を育成できない、家庭学習でもできる授業とは呼べない指導が今後もなくならないのではと危惧しています。
    全県的な授業力のボトムアップについて、これまで以上に力を注いでいきたいと思います。

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    1. それは驚きです。中学校くらいの教科書で訳読やって50分もつ気がしません。高校教員やって三校目ですが、生徒を暇にすること以上に恐ろしいことはないと思ってます。

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