オーラルイントロダクションについて

今でも英語の授業の導入といえばオーラルイントロダクションを使う人が結構いるようだ。
オーラルイントロダクションとは、

「その日の題材や文法項目について教師が生徒と対話を主導しながら自然な形で導入していく方法」

とまとめて差し支えないだろう。


例えば「過去形」のオーラルイントロダクションなら以下のようになる。

T: I like ramen. How about you?
S1: Yes. I like ramen, too.
T: OK. I often eat ramen. Do you know Super Ramen Shop?
S2: Yes.
T: I ate ramen at Super Ramen Shop yesterday.
Ss: Oh.
T: Now please tell me your yesterday's dinner. S3?
S3: Curry.
T: "I ..."
S3: I eat curry.
T: No. I ATE ramen yesterday. How about you? Curry? So "I ..."
S3: I ate curry.
T: That's right.


会話の中で「自然に」現在形と過去形の文脈を提示し、過去形の場面での使い分けを促している。


このように文法そのものを明示的に説明するのではなく会話の中で学習者に気づかせるように仕立てていく方法を「ナチュラルアプローチ」とも呼ぶ。

ある特定の言語内容が現れる文脈が「自然」であり、「人工的ではない」ということだ。


オーラルイントロダクションが広く英語の授業で採用されるようになった経緯は不確実ではあるが、おそらくChomkyのLanguage Acquisition DeviceとKrashenのInput Hypothesisの影響があったものと思われる。


言語学者のNoam Chomskyは人間には誰しも脳内に言語を習得する特殊な機能を持つ「装置」を持っていると提唱した。

Stephen Krashenは言語習得の順序や文法監視機能など複数の仮説を提唱し、その中の一つがInput Hypothesisである。彼は人が言語を習得するのには「良質で大量のインプットだけあれば良い」と主張し、アウトプットは周りから促される必要はなくインプットさえある程度与えられれば自然と生まれるものだということを述べた。


さて、私はというとオーラルイントロダクションに対しては懐疑的な立場をとっている。理由は以下の3つである。


1. オーラルイントロダクションによって「自然に」文法項目が習得されるほど十分なインプットは与えきれない。

2. 一斉授業では全ての生徒がこちらの意図するように内容の推測などをしている保証がない。

3. そもそもオーラルイントロダクションをすること自体が「不自然」なことである。

順に考えてみよう。


1. オーラルイントロダクションによって「自然に」文法項目が習得されるほど十分なインプットは与えきれない。

上記のオーラルイントロダクションの例は簡略化されたものであり、実際にはもう少し冗長な対話になるであろう。

しかし仮に時間の許す限りに大量のインプットを与えたとしても、生徒が使用する回数は多くはならない(生徒が簡単にアウトプットが多くできるのであればそもそもその内容はこのように導入する必要がない)。

オーラルイントロダクション(あるいはオーラルインタラクション)の最中に生徒が発する内容は教師に促されたかなり限定的な発話であり生徒の自発的な発言ではない。

その意味でここで起きていることは、文法事項の「パターンプラクティス」と大差ないのである。

Krashenが言う「良質で大量のインプットさえあれば良い」とは子どもの母語習得を想定した事象であり、教室の5〜10分の限定的なインプットで同じ効果を期待することはできない。つまりオーラルイントロダクションは目的を達成するためにはあまりにも費用対効果が低いのである。その分を別の活動に当ててはどうだろうか。


2. 一斉授業では全ての生徒がこちらの意図するように内容の推測などをしている保証がない。

上記の例では教師の発言で"often”を使っているときは現在形、"yesterday"を使っているときは過去形になるという違いを示唆している。

つまり生徒は"often"と"yesterday"に注意を払うという前提があり、”Super Ramen Shop"など他の語句に気を取られてしまっては教師の思惑通りではない。

聡明な学習者ならこの教師の意図を汲み取ることができるであろう。一方、スローラーナーやたまたま気が逸れていた生徒はこれに気づかず、ただ教師が一つのエピソードを話しているだけだと思うかもしれない。

「エピソードを伝える」ような会話スキルやそれを聞き取るリスニングの力は重要ではあるが、それが目的であるならばもっと興味を引くような、生徒の実生活や関心につながる内容を話した方が良いだろう。

わざわざ英語でオーラルイントロダクションをしなくても、日本語で「"often"は習慣を表すので現在形を、"yesterday"は過去を表すので過去形を使いましょう」と説明してはどうだろうか。


3. そもそもオーラルイントロダクションをすること自体が「不自然」なことである。

この文章の中で数回、自然という言葉に鉤括弧をつけたのは、実はこの部分に私がそもそもの疑問を抱くからである。

「自然」とは何か。

教室に入り、英語を学習しようとするときに、「昨日ラーメンをどこどこで食べた」という話をするであろうか。

もちろん授業で何を話す「べき」かの規準などは存在しないのだから、何をもって「自然」と呼ぶかについては意見が分かれるところではあるだろう。


しかし少なくとも人間は何らかのニーズがあり行動をしている。教室でいきなり誰も(教師すら)興味のないラーメンの話をすることはそのニーズからかけ離れたことであり、とても「自然」とは言えないであろう。

つまり、ナチュラルアプローチを掲げてできるだけ自然な文脈で生徒に英語を習得させようとしてきたこれまでのやり方自体が「人工的」で「不自然」なものなのである。


長くなってしまったが、もちろん問題は「ではどうすればいいのか」である。オーラルイントロダクションにももちろん長所、効用がある。それを考慮しつつ、どのように生徒の言語習得を促していくのか、またの機会に考えてみたい。

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