定期テスト 波及効果 ~指導と評価の一体化

今回考えるのは前回取り上げた3つ目の項目の波及効果である。
つまり、テストのために生徒が特別な勉強をするかということである。

元々この概念は、例えば「現在完了はテストに出るからその勉強をする」というトップダウンの考え方である。図式すると以下のようになる。

 テスト ⇒ 対策の勉強

これはあくまで生徒の視点であり、教員が意識するべきのはむしろその反対方向、つまり「授業中に現在完了について指導するからテストにも出す」というボトムアップの視点である。

 指導 ⇒ テスト

教員、生徒がこれらの視点を持っていると、勉強とテストが有機的に関連し合い、理想的な相乗効果を生むと考えられる。これが「指導と評価(テスト)の一体化」である。


ここまではとてもシンプルで、一般論として納得できることだと思う。

しかし、である。上記の理屈から、使い古されたあのセリフが思い起こされるのである。


 「ここ、テストに出すからしっかり勉強しておけよー」


これは「指導と評価の一体化」なのだろうか?
確かに授業中にその内容を取り扱い、生徒はテストに出る(らしい)から対策をする。

実際にテストに出題されれば、

 「先生が言ったことは本当にテストに出るからしっかり話を聞こう」

となり、結果的にその教員は授業規律を保ちやすくなるかもしれない。


私はここで何を問題としようとしているのだろうか。
それは、「しっかり勉強しておけよー」の部分だ。

どうやって勉強をしろと言うのだろう?

表層的な暗記?それとも、応用できるほどの完全な理解?


英語教員に話を聞いてみると頻繁に耳にするのが「英語の力の多くは暗記による」というものである。これには私も同意する。英語の定期テストには暗記の努力を要する問題も少なくない。

それなのに、実際には教員が説明はするが、生徒はその場で理解はしたとしても暗記をするところまではたどりつかないことが多い。

一方テストでは対策の段階で暗記が必要であったような問題を出題する。
これでは指導と評価は一致しているとは言えない。


今一度、自分が作った、あるいは作りがちな問題がどういった対策を必要としているか検討してみよう。


暗記が必要だと思われるなら、授業ではその暗記を助長する活動をしなくてはいけない。

応用力が求められるなら、授業では多種多様な英文に触れさせるか産出させなくてはいけない。


もしテストに出るということだけを伝えその対策を生徒に委ねるならば、学期当初にテスト内容のプリントを配って後は自習で良い。

そんな馬鹿な話があるか、と思うのなら、テストの問題の質に応じて指導を変化、適応させなくてはいけない。

よく見かける、穴埋めプリントを乱発するのは暗記を助けるかもしれないが、それはまた構成概念妥当性の問題を生じさせてしまう。

果たしてそれは本当に「英語の力」を伸ばしているのか、と。









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